2月の終わりに感じていること
更新日:2020年3月1日
一昨日moëと話していて
「もえは絵に縛られずに色々作りたいのを作ってほしいなー」と言ったら、
「それはかぶちゃんこそだよ!」と言われてハッとしました。
最近、作りたいなーって気持ちの箱の中から絵の構想だけを選んで取ってたなぁ
なんとなく「絵を描く人なんだから」と自分を納得させていたんだなぁ
いつもふと自由にしてくれるのはこの人だなぁと思いました。
「頑張れば頑張るだけ偉い」という子どもの頃に学校ですりこまれた考えが、今になって苦痛に変わります。
絵は描けば描くだけ良くなるものじゃないからです。
デッサン力がどうだとか、コンセプトがどうだとか、そんなことは理由づけに過ぎなくてもっともっと大事なところがあります。
最近、毎日のように『かもめ食堂』『めがね』『パンとスープとネコ日和』という映像作品群を見ています。
世の中には「頑張れば頑張るだけ偉い」と同じようなすりこみが沢山あるように思います。
学校で勉強して、進学して就職する
物事には理由やねらいがあって順序がある
目標を目指して生きていかなければいけない
などなど…
そんな当たり前になっていることを否定したいわけじゃないですが、万人の正解ではないんだと思います。
さっきの作品群は、『スローライフ』という言葉で形容されがちです。
その言葉にもやっと違和感がありました。
田舎暮らしがスローライフなのか、海外移住や離島がスローライフなのか、
どこで暮らすにしても大変だし忙しいし時間は過ぎていきます。
じゃあ何が違うのかと言ったら、感じ方・考え方です。
あれしなきゃこれしなきゃという考えに縛られていない生活、スローライフではなくどちらかと言うと純粋なライフなんだと思います。
今、そうやって地に足つけてしっかり日々を生きる人は少ないんじゃないかと思います。
それを良しとしない人にとってはつまらない作品なのかもしれません。
これもまた万人の正解ではないから。
そういえば最近、
出張で東京に来ていた父に「仕事は頑張ってる?」と聞かれました。
言いたいことは理解していました。「絵はちゃんと描いてるのか?売っているのか?バイトだけしていては何の意味もないぞ」と心配してのことです。
僕は「仕事」と「頑張る」にもやっと違和感を感じて、しかも心配されている(してくれている)ことも感じて、上手く返事が思いつきませんでした。
売るために描いてるんじゃなくて、描いたものを欲しいと言ってくれる方に売る。
描きたいから描いている。そこには理由なんていらなくて、それで良い。
「やりたいことをやる」ってすごく甘えた印象があったり、夢見がちに思われたり、中身が空っぽな感じがあるけど、それでいいんだと思います。
そんなんじゃだめだ!って人とは距離をおけばいいだけで
と誰に対して発信したいのかも分からない文章を書いていますが、それもそれで良くて、
誰かの思想に影響を与えたいなんて大それた気持ちはなくて、
僕の頭にある考えを一回アウトプットしただけです。
もしそれが誰かの面白いに繋がれば嬉しい、絵を描くこともそうです。
描きたいなーと思って描いた絵を隣の席の子が楽しんでくれる、それの延長なんだと思います。
だから、頭に思い描いた絵を現実にアウトプットする時、理想を超えるようにできるだけの努力はするけど、良い絵になるかは完成次第。
時間がかかっているから、材料が多いから、お金がかかっているから、工夫がすごいから偉いっていうのは幻想なんだなーと
すぐ過去に流れていく今を大事にしたいなーって、最近の思いでした。
今は頭に浮かんだ「透き通った景色」を描いています。

追記(2020.3.1)
3月のはじめにきづいたこと
今日は『あぜ道のダンディ』という作品を観ました。
今、世の中で起きている買い占めで、ドラッグストアの店員さんが疲れ果てているという話をmoëが聞かせてくれました。
たまに、公の人のことを人間だと思えない現象が起きてしまうことを思い出しました。たとえば、学校の先生、店員さん、お医者さん
その人も自分と同じように仕事としてその立場にいるということを忘れてしまう時が自分にもあります。
家族に対しても同じでした。
観た作品の中で、愛情を上手く表現できない父親と、感謝を素直に表現できない子供たちが出てきました。
お互いに相手を役職としてではなく、人間として捉えることが大切なように思いました。
当然のことだし忘れやすいことです。
そんなことを考えたりしています。
どれもAmazonプライムで観た作品の話でした。笑