
『スターウォーズ』描きすぎること、語りすぎないこと

スターウォーズという拡張世界
この映画に出会ったのは小学5年生の時。
完結篇「エピソード3 シスの復讐」が公開される夏にエピソード4から順番(4→5→6→1→2)に予習した5日間。
若い時にスターウォーズに感動したおばさんの家で1日1作ドキドキして見たのを覚えています。
スターウォーズは言わずと知れた名作で、ジョージルーカスを中心にいろんな方の力で表現された『映画』と、そこから拡張し続ける『銀河系』のことです。
見切れるキャラや宇宙船にも細かい設定があり、服や建物乗り物には汚れは生活感を物語り、遠い昔のはるかかなたの銀河系を本当に存在したように、神話のように語ってくれる、そんな作品です。
そんな作品が再編集され、新たに始まると決まったのが2012年。
ディズニーがスターウォーズを買収した時でした。
この出来事に関しては、あらゆるネットニュースや記事で散々語られてきているので省きますが、
エピソード4から始まり6で幕を閉じ、1で本当の始まりが始動し3で幕を閉じた、あのスターウォーズの続編『エピソード7 フォースの覚醒』が公開されたのが2015年でした。
そして昨年末、このもう一度始動した物語がやっと幕を閉じました。
この数年、ずーっと心が静まることがなかったので、やっと終わったという気持ちです。
長ーくなりましたが、ここまでが前置きです。
そして、今回のブログは『僕がスターウォーズから教わったこと』のおはなしです。
ジョージルーカスのスターウォーズから学んだこと
それは、『描きすぎること』と『語りすぎないこと』です。
自分の作り出す世界を大切にして、脇役の出身惑星や種族、生い立ちを考えることで、その世界も広がっていく。
惑星同士の関係や、惑星の環境とそれに応じた体のつくり、そこまで想像が巡ることが素晴らしいなぁと思います。
そして、そこには意外と余白もあったりして、ファンや別の作家の意見や設定も取り込んだりしながら、時には余白を埋め銀河を広げていきます。
また、前述の通り、全てのものに環境などの設定に応じた汚し加工が施されます。
宇宙のこととなると、ピカピカで未来が当たり前の時代に、あれだけの生活感を出せたことが素晴らしいです。
そしてそれが本当にかっこいい。
それだけ作り込んだ世界なのに、スターウォーズは全貌を見せてくれません。
主人公の目や、他のキャラクターの目を通してしか語りません。出来事を1つの画面に切り取り、本当にあった歴史のように、映画としてパッケージします。
そんな映画なので、同じシーンでも初見で見るのと他の作品を見た後に見るのじゃ感覚が変わってきます。
設定を知れば知るほど、考えれば考えるほど深みが増す作品なのです!増し続けるからずーっとファンが絶えないんだと思います。
エピソード6にこんなシーンがあります。
主人公と旅をしてきた二体のロボット(あの銀河では「ドロイド」)が、小さな原住民の村で今までの旅を読み聞かせのように語って聞かせます。
僕はこのシーンにスターウォーズの全てが詰まっていると思っています。
エピソード1〜6まで(9まで)見てきた観客たち、僕たちはこのドロイドの冒険の記録を聞いているんです。どんな冒険だったのかハラハラしながら聞いている原住民こそ、僕たちなんです。
この銀河で人から人に語り継がれてきた、読み継がれてきた神話のように
あの銀河でドロイドが語り継いできた神話なのです。(個人的には)
この結論だと、スターウォーズは本当にあったことのようですが、
小学5年生の僕には本当にリアルでした。
勿論、今でも遠い昔のはるかかなたの銀河系での出来事だと思っています。
そんな世界を作ることができた、ジョージルーカスとその他全ての人たちに感動しますし、自分もそんな世界を作りたいとずっと思っています。
僕の描く絵の世界も『いちのせかぶとユニバース』なので、みんな繋がっています。

各絵画の中の登場人物のつながりも、今後の楽しみ方の1つかもしれません。
と、絵に話を繋げてしまいましたが、
今回は好きにスターウォーズについて書いちゃおー!と思って書いたブログでした。
最近は、作家活動をこのくらい自然体で楽しみたいなぁと思えるようになりました。🤸
そんな感じです。

最後まで読んでくださってありがとうございました!☺️